常設展示

​常設展
大嵩禮造 岩下三四 海老原喜之助 高城琢哉 山下三四など

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​山下三千夫(1948 ~     )

鹿児島県坊津町生まれ。幼少の頃より類い稀なる才能を開花させ19歳で初個展を開き、個展のみで作品を発表してきました。
写実とデフォルメを巧みに使い分け、その作風は初個展から五十年を過ぎた今でも変化し続けています。

鹿児島県坊津町生まれ。幼少の頃より類い稀なる才能を開花させ19歳で初個展を開き、個展のみで作品を発表してきました。
写実とデフォルメを巧みに使い分け、その作風は初個展から五十年を過ぎた今でも変化し続けています

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岩下 三四(1907~1999)

 

戦前は東京にあって熊岡美彦の絵画道場の若き師範代として声明を馳せる。

第二次世界大戦後は鹿児島大学教授として後進の育成に

あたりつつ、東光展と日展を舞台に活躍する。

桜島、琉球踊りなど郷土の風景や芸能をテーマに、コロリストの天性を発揮して馥郁たる豊潤な世界を展開している。

​伊牟田 經正(1934 ~ 2018)

鹿児島市喜入中名町生まれ。小学生の頃から図画が得意だった。鹿児島県立甲南高等学校では美術部に所属し油絵を描き始め2年生の頃に画家を志す。高校時代、南日本美術展に出品。また、彼が3年生の時に、同校文学部が機関誌『深海魚族』を創刊した際、頼まれて表紙絵を提供している。甲南高校卒業後に上京し、新橋の光風会美術研究所で学ぶ。デザイン会社、映画看板屋、ペンキ屋などを遍歴した後、レーシングカーのサインペインターをしながら絵画制作を続ける

1991年に日展会員となる。2004年に光風会理事、2007年に日展評議員にそれぞれ就任(日展評議員は2014年まで)。2018年4月に銀座で個展を開く。同年5月、下咽頭がんのため千葉市にて逝去。

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髙城琢哉(1955~1988)
 

枕崎市出身。

枕崎高校を経て鹿児島大学美術科に学び、大嵩禮造の薫陶を受ける。

卒業直後の幾何学的抽象画から、彼独自のやわらか味のある抽象画の世界を造りつ

つあったが、30歳の時に病魔に侵されて闘病生活に入る。

1988年2月、33歳足らずの若さで足早に彼岸へ旅立った。

高城は人格者であり詩人でもある、正に夭折の画家の名を冠するに値する人で

あった。

​大嵩 禮造
 

鹿児島県鹿児島市出身。

1954年鹿児島県立甲南高等学校卒業。

高校では鮫島梓が指導する美術部に所属。

高校2年生で南日本美術展に初入選。

1958年鹿児島大学教育学部美術科卒業。

1959年の第14回南日本美術展で「花の碑」が県知事賞(最高賞)を受賞。

初の鹿児島県海外美術派遣留学生となり翌年渡仏しパリ留学。

審査委員長海老原喜之助の紹介状を持って藤田嗣治のもとを訪ね、時代の潮流でなやむ姿を目の当たりにして、巨匠がこうなのだから自分は自分なりの絵を描くしかないと感じる。

1962年から独立展にも出品し、1973年に独立奨励賞受賞。

その後も入選・入賞を重ねて、1988年の第56回独立展で独立賞受賞。1989年独立美術協会会員となる。

その他、鹿児島芸術文化奨励賞などを受賞。

大学卒業後高校教諭を経て、1965年に母校鹿児島大学に指導者として招かれ、1977年教授に就任。

1979年には文部省在外研究員として再びパリ留学。

1992年から1999年まで南日本美術展審査員。2000年に鹿児島大学を退官し名誉教授。

2002年6月鹿児島市立美術館館長に就任。

10月に入院し翌年1月7日に脳腫瘍により逝去。

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